私は糖尿病です【I have diabetes...】
私は糖尿病患者です。管理人が自分の戒め、そして備忘録としてここに糖尿病についての情報・知識・思っていることを綴っています。深い意味はありません。ただ、患者がどのように思い、どのように生活しているかを知って欲しい…。そしてあなたの身近な大切な方の支えになってあげてください。つぶやき
糖尿病患者である自分。まだまだ現実として受け止められない気持ちと、合併症に対する不安。そんな気持ちがごちゃ混ぜです
本当のやさしさ
自分が病気になってみて思うこと。本当の優しさとはなんだろう?
「大丈夫?」「無理しない様にね」「がんばって」
言葉ならいっぱいある。自分も第三者で居続けられればきっとそういった言葉をかけていただろう。
でも本当は違うんだなぁ。。。
言葉をかけられても「大丈夫です。ありがとうございます」という言葉を作り笑いで返すことしかできない。
そういう優しい言葉をかけてくれたとしても、それに伴った何かが本当は一番嬉しいもの。別に仕事の手を抜かせて欲しい・優遇して欲しいという意味じゃないんだけど。もしそういう気持ちなら自分から「僕は体が弱いんですぅぅぅ」と泣きつけばすむ話。個人がそういった行為に出てない以上、本当に望んでいる行為とは、ごく普通に接してくれること。その普通に接してくれている中にも普通と違うことを発見し、そういう時に対処してくれる行為。それが一番望んでいる優しさかな。
妙に病人扱いでたどたどしい接し方も当人側が逆に戸惑うし、かといっていざという時に何もしてもらえない(あ~、充分お慈悲を期待しているな(苦笑))のもちょっと怖い。
日頃体を気遣っているそぶりだけでただ単に興味本位で病状について質問されることは多々ある。自分的にはお答えする節々に何をしてもらわなければならないかをお伝えしているつもりだけど。それを真剣に理解してくれてとっさに行動に移してくれるか?それを理解してくれているか?それが本当の優しさだと思う。こう書いていると本当にワガママ病にしか見えないな(苦笑)
がんばれる限界までは必死で見栄を張っています。でも本当にとっさの時に的確な対処をして頂けないと、昏睡→死に至っちゃうのです、実際。。。 見栄を張らなきゃやってられないくらい自分自身は不安を感じているのです。
前向きに
健康診断で「病気の疑い」と指摘されたときは特に何も感じてなかった。またひとつ自分をネタにして会話の種ができたくらいに捉えていた。、実際病院に行って血液検査を受けて医者から伝えられたときは少しショックを受けた。症状は抑えられても一生治らない(一生付き合っていく病気)だからだ。
でも、病院にて2回目の検診のとき、『即時入院』といわれた時、それと同時にいきなりインスリン(注射)治療を宣告されたときは目の前が真っ暗になった。
自分は目が悪い。めがねが必要と診断されたときも似たような感覚を味わった記憶がある。有事のときに裸一貫で生き残ることができない可能性が高くなるからだ。
何かに頼らなければいけなくなるということ。何も無ければ普通に生活できることが、何かに頼っていかなければならなくなった時。自分の場合はすごく不安を感じた。
診断されて守らなければいけなくなったこと・抑制しなければいけなくなったこと。
1.大食い(貯め食い)禁止
2.早食い禁止
3.自由な時間の飲食禁止
4.暴飲暴食(暴食は1~3に当てはまるけど)禁止
5.夜更かし禁止
6.時間に束縛されない自由な活動(思いつき遠回りドライブとか)禁止
7.ツキイチの通院厳守
8.毎日4回の注射厳守
などなど。。。他にも色々あるけど。
とりあえず今までできていたことが全て否定されているだけに感じた。それゆえ非常に凹んだ。毎日寝るときに考え込んでいた。
でも、日々が過ぎるにつれ、自分なりに答えを出してきた。
1~ 5に関してははっきりいって普通の人であっても健康に生きていくうえで守らなければいけないこと。それをある意味切羽詰った状態で守らなければいけない理由付けができたと考えればイイ。守れない中でずるずる健康を害していくよりは健康管理に日頃から心がけられると考えればまぁ、いっか。
7に関してはまぁ、一歩間違えれば捨てていく有給を有意義に消化できる?と考えよう。別段旅行好きとか予定の無い自分とすれば毎月1日有給をちゃんとした理由で取れると考えればまぁいいかな。
8については、普通自分で管理できないホルモン(インスリン)の量を自分で管理できる、と考えれば少し得した感じ。血糖値上昇に不安を感じ、健康食品と呼ばれるものを高い金を出して摂取し、病院での検査に希望を抱くよりも、毎日自分で血糖値を調べられて、自分(注射という力は借りながらも)でコントロールできると思えば健常者と比べてなんか得をした気分になったw。
インスリンも体内分泌ホルモンの一種。精神状態もかなり影響すると聞く。 上記に記した「自分なりの答え」はただの理由付け・言い訳にしか見えないかもしれない。でもずっと悩んで考え込んで凹むよりも、前向きになれるんならいいじゃないか。
追伸:6については自分的に一番痛い。でもガソリン代も節約できていいぢゃないかっ。うん。
症状について
自分の場合、健康診断で疑いが出てから、約1ヵ月後の病院での検診までの間に一気に病状が悪化していた。 血糖値は倍くらいに跳ね上がり、もちろんヘモグロビンも数値が上がり、体重も一気に10キロ近く減少。数値的にはこんなものか。後から指摘されてみれば、確かにのどの渇きがひどくなっていた。そしてマニュアル通りにのどの渇きの対処のために清涼飲料水を取り続け、更に悪化への道を辿っていた。ニキビ(いや、語弊があるな。吹き出物だ)やデキモノができ易くなり、それは治りにくいものになっていた。実際左太ももの付け根にできたソレは栗マンジュウ大にまでふくらみ、救急病院で切開してもらうまでにもなっていた。
でも一番誤解をしていたのは「疲れ」だ。確かに今の仕事についてから、「意地」にも似た気合で仕事をこなしてきたつもりだ。なのに健康診断を受けた頃から、どんどん思うように体が動かなくなってきていた。それは幸か不幸か丁度30歳になってから数ヶ月のことだったために「30歳になるとはこういうものか・・・」という諦めにも似た心境で自分に鞭打ってきていた。でも、体が動かない。仕事に対する情熱(ちょっとクサイな(汗))が失せた訳ではないのに。そういうジレンマから非常に短気に磨きをかけた状態になった自分を憎んだ。果たしてソレが症状の一環なのかは定かではない。でも、本当に自分が憎かった。退社後、帰宅途中の車の中で、「なぜあんな言い方をしてしまったのだろう?」など自問自答する日が多々あったのは確かだ。
全てを糖尿病の症状として言い訳するのは簡単だ。でも、一生付き合っていくと決まった以上、それはできないよなぁ・・・。歳をとってからの自己中ともいえる短気はみっともないもんね。自分が感じる症状は仕方が無いとして周りに迷惑をかけるようなことは控えないと。なんてったっていざという時は助けていただかないといけないんだから(笑)。
ちなみに多尿も本当です。入院時にはなんかの検査のため(?)なのか、毎回尿を貯めさせられました。
確か2リットルくらい入る袋に、糖尿病で入院している人みんなの分が並べられて。通常境界型と呼ばれる部類の教育入院で入っている人は、1袋以内に 収まっていた(約半分くらい?)んだけど、自分は2袋、ひどい日には2袋が満タン(つまり4リットル!)になることがありました(笑)。しかも一回の量がすごい。他の人は500cc程度のコップにとっていたみたいなんだけど、オイラは多いときは700cc近く出てたもんで唯一専用の尿瓶がありました(笑)。血糖値150前後の境界型の人はかわいいもんです。なんといっても300オーバーが普通になっていた自分ですから、比べるまでもありません。
お食事中の人はごめんなさい…と普通は書くのでしょうが、ここをわざわざ食事中に読む人はいないだろうから書きません(と書いてみたw)。あ。でもビールをいっぱいやりながらの人はいるかな?やっぱりごめんなさい。
訪れた現実
2007年、ついに衝撃的な出来事があった。謝辞にも記している大先輩である伯父がこの世を去った。伯父は福岡に居を構えており、子供の頃こちらに来た際にはよく遊んでもらった。伯母の家にあった卓球台で疲れているにもかかわらず甥である自分のわがままを聞いてよく相手してもらったのも記憶に新しい。
しかし、あれから数年、いや数十年たった頃、片足を切断したことを聞く。『糖尿病』の壊疽によるものだと聞いたが、当時全然知識がなかったために「何だそれ?」程度だったのだが、結局同じ病気を患うことになってしまっている訳だ。その後、更にもう一方の足も切断したことを聞いた。
同じ血が流れているのか、伯父は歳のわりにハイカラで、自分と同じく新しいものに対して興味を持つ人だった。もちろんPCも例外ではない。ウチの母は今時(?)携帯ももたなければ無論PCのアドレスもなかった。そんな母に対し、自分のアドレスにメールを送ったのでプリントアウトして渡して欲しいとの依頼があった。人宛のメールということで少々引け目があったが、読んで見ると今までの糖尿病についての経験や知識を記した内容であり、自分に対しての励ましの言葉がそこにあった。結局は『母宛』ではあるものの間接的に自分に対することを記してくれていたのだ。足を失ったことで生活が不便になったことや、外出がしづらくなったこと、外との繋がりはPCとなったことなども書いてあった。
祖母の墓参りもかねてそんな伯父に久しぶりに会いに行きたいと思っていたが、仕事の忙しさに感けてなかなか足を運ぶことが出来なかった。そんなある日の訃報だった。
急遽休みを取り、日帰りで高速艇とJRを乗り継いで福岡へ。数十年ぶりに対面した伯父は、自分が成長したせいか、歳のせいもあってかとても小さな印象だった。しかしそれは、脚部が失われたせいもあることに気づくのに時間はかからなかった。伯父の寝顔は脚部切断を忘れさせるほどの笑顔にも見えるものだった。
直接会ってもっといろいろ話しておけばよかったと今更ながら悔やまれる。しかし、伯父が最後に残してくれたもの、最後に教えてくれたことは、自分にもその様な瞬間が訪れることを身をもって警鐘を鳴らしてくれたのかもしれない。忙しさを理由に自分の体についてよく考え、節制をしなければ将来同じ道を歩むであろうことを。
この伯父との別れは、どんな医者の言葉よりも何より自分を戒める機会を与えてくれたのかもしれない。
うんざり
これは入院中にも感じていたことだが、「あの食品は糖尿にいい」とか、「あそこの先生はいい」とか云々…。優しさとか、知識の片鱗なのかもしれないが実はうんざり。そりゃ新しい注射が発売となって注射パターンがより自然に近づいたとか、移植とか新しい治療法が開発されたのなら興味もある。一歩譲って新しい知識として聞くだけならまだアリだけど。
しかし、その意見を『自分』に押し付けてくることにはうんざりというわけだ。新しい知識として確かに頭に受け止めよう。ただし、それを実践するかは自分の問題だ。更に言えば、確立された確実に効果のある治療法などであれば、多分医者がまず進めてくるであろう。いや、自分も今まで聞いたことで何も試さなかったわけではないけど。
でも、この病気の特性上、食事内容や運動など、ヒトとして生活改善を行うことで治療ではないが普通の人に近づくことが出来るはずだ。それを結局の所、『効果のある食べ物』や『医師の力量(?)』に頼ろうとしていること自体がおかしいのではないだろうか?
医者にしても極論を言えば既に「糖尿病」として診断しているわけだし、『薬』などに頼らずに改善を提案するのであれば、上記の『食事』や『運動』などの生活についての指導をしてくれることで充分だと思う。ただ単に、血糖値を下げるために薬を乱発してくるような医者はどうなんだか。糖尿病の治療を血糖値を『早く』下げることだけに固執すればなんとでもなるだろう。しかし、それをごく自然に求めるために時間がかかるわけだし、患者にとっては厳しい事になるだろう。
何を以って「いい薬」や「いい医者」として捕らえるかは個人の基準によるものだと思う。
わかって欲しい
糖尿病の血糖値が下がらない原因の一つに『ストレス』があるらしい。でも、現代人として生きていく以上、離すことは出来ない現実だ。家ではマターリヽ(´ー`)ノ生活しているも、やはり外に出るとストレスはありますわな。
しかし、それをなくすためにはと、医者に『仕事を変えるしか』といわれたことがある。そりゃ確かに仕事(職場)を変えれば『今』のストレスからは開放されるであろう。しかし、結局自分王国でもない限り、ヒトと接する時点で新たなストレスは生まれてくるであろうし…。
いやいや、言いたいのはそういうことじゃない。はっきり言ってお医者さんは現実社会を理解できているのであろうか?微妙に収まってきた観もあるが、現代は就職難の時代ですよ。しかも転職…。更に言えば(ココ大事)、三大成人病の糖尿病を患っている時点で健康診断通りますか(´゚A゚`)?。
現実的に現在の仕事をしながら職探しなんて時間的にムリだろうし、退職後に職探しして見つからない期間なんてジゴクですよ、精神的に(1年ほどプー経験者が言うのだから)。
逆に悲観的に捉えれば『現在の仕事のストレスが糖尿病の治癒を遅らせている』的な考えをおこさせ、非常にナーバスになりました。現実をもっと知って欲しい、わかって欲しいでつ。
微妙に辛いこと
生命保険。自分の場合は発症する直前に入院費などちょっと有効なプランに更新していて助かった。健康体なら掛け捨てではないにしろ、『もったいない』観が拭い去れない代物であるが、今となればほんとに入っていてよかったかな。65歳まで生きていないと帰ってこない年金よりは、よほど重要ですよ先の見えない糖尿病患者にとってこれは。でもね、ありがたみを知った今となっては、もう入れないんですよ。プラン変更も何も。
会社にいると、共済とかの関連で「生命保険」の加入とか勧められるわけですわ。だめもととは思いながらも、毎回打診してみるんですよ。でももちろん却下。これが、ドンだけ悔しくて悲しいことなのか、健康な人たちにはわかってもらえないでしょう。例えば住宅ローンとかにしてもそう。担保的に『生命保険に加入』とかの条件があった場合に、その悲しい現実に直面しますよ。こうなってくると、自分のためとはいえどれだけ努力して血糖値を平常に戻しても、劣等感に苛まれますな。
続・前向きに
色々以前から話だけ聞いていたCSII(インスリンポンプ)。ついに2009年の年度末に使用に踏み切った。病院での貸与制度が充実してきたこともあるが、実際の所、踏み切った一番の理由はオヤヂの死だ。
オヤジが糖尿って訳ではないのだけど、数ヶ月間、介護(とまでは呼べないけど)らしきことをして、オヤヂの姿を診続けることで、生きるって何だろうと考えさせられた。確かにオヤヂは74。天命を全うしたと言うには少しばかり早い気がするが、生きるって何だろうと。
オヤヂは結局認知症といわれながらも実際は硬膜下血腫という「治る」認知症で入院→誤燕性肺炎でこの世を去った。認知症らしき症状が出始め、自宅にいる間はほぼ付きっきり。それでもだんだん言葉数がへり、天井を見つめるだけの状態が続き、うなずくことさえもままならない状況。食事ももちろんできるわけでなく、高カロリーの流動食を吸い口で流し込むだけ。自分たちからすれば判り様も無いことだが、オヤヂ自信は何を思っていたのだろう。
硬膜下血腫が発覚し、手術を終えた後、一旦びっくりするほど回復を見せた。その時に本人に聞いたこと。いや、まだ正式に回復していたわけではなかったんだけど。「オレらが話しかけていたことはわかってた?」。本人曰くわかっていたらしい。ダイレクトには聞いてないし、答えたわけではないが、「自分が衰弱していっている」こともわかっていたっぽい。
もしオレがこのまま合併症とかで「自分の目で見えないまま」、「自分の足で自由に歩くことができないまま」衰弱していったら・・・。糖尿病が発覚した時点で覚悟はしていたつもりだけど、急に怖くなった。だから、ちょっとでも、元気で、そして長生きしたいと思った。オリンピックだって、WBCだって、ワールドカップだって、次回、次々回、もっと見たいよ。エボだってもっと運転したいよ。そう思ったら少しでも良いとされる医療技術に頼りたくなったから。確かに機械は邪魔だけど・・・。
以前書いた禁止事項、
1.大食い(貯め食い)禁止
2.早食い禁止
3.自由な時間の飲食禁止
4.暴飲暴食(暴食は1~3に当てはまるけど)禁止
5.夜更かし禁止
6.時間に束縛されない自由な活動(思いつき遠回りドライブとか)禁止
7.ツキイチの通院厳守
8.毎日4回の注射厳守
以上、それから開放されたこととして取り消し線を付けてみた。実際の所、カーボカウントさえちゃんとすれば、1も4も何とかなるw。これって、少し健常者に近づけた気がする。確かに機械は邪魔だけど。自分と比べて健常者という言い方をするのは実際辛いけどw。
でも、オヤヂが何か後押ししてくれて一歩踏み出せたような気がする。だから大丈夫。オヤヂの分も少しでも長生きしてやるからな。
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